Dr.伊藤のひとりごと

在宅死について考える

本日は日曜日であるが、一人のお年寄りの死亡確認をしてきた。昨晩遅くその家族から「今見に行ったら、じいちゃんが息をしていなくて冷たくなっている。」と私の携帯電話に連絡が入った。「ごめんな、今日は夜遅いから明日の朝早くお宅に死亡確認に行くから待ってて。」と昨晩はずるをしてしまった。なぜすぐに行かなかったかとお叱りを受けるかもしれないが、こちらの都合もあったのでどうかご勘弁していただきたい。

この患者さんは90歳の男性で1ヶ月前からほぼ寝たきりになり、10日前からほとんどご飯を食べなくなったため3日前に往診を頼まれた。往診のときに家族と彼の治療について話し合い、入院治療は望まない、経管栄養もやりたくないということで意見が一致した。最終的におじいさんの希望を聴いてから家族全員で話し合ってもらい、その結果どうするか決めるということになった。昨日、家族が来院して、やはりおじいさんは入院をしたくないし、自分の家で死にたいと言っている。そして家族全員もそれを望むということであった。前に処方した経口栄養剤を飲んで、あとは好きなものを食べてもらい経過をみることに決めた。しかし、彼はちょうどその夜に息を引き取った。

病院で死亡したわけでなく、在宅管理のため詳しい検査もしていない。果たして死因は何かといわれると、はっきりとした死因はわからない。では、死亡診断書ではなく死体検案書にするべきかといえば、そこまでする必要はないように思う。結局、死因は老衰としたが、これでよいかと悩んだ。在宅で亡くなる場合はこのようなケースがとても多い。老衰という言葉は果たして適当な病名なのだろうか。まあ、90歳まで生き、苦しまないで亡くなったのだから、これが一番良い死に方なのかもしれないが、私にとって老衰という病名はなんとなくしっくりこない。

話は変わるが、以前に大学病院に勤務していたとき、ひょんなことで護国寺の大変偉いお坊さんの主治医になったことがある。入院したときの病名は肺炎であり、そのお坊さんは呼吸不全で亡くなられた。亡くなったとき、お寺の方が見えて死因を老衰として書いてくれないかと頼まれたことがある。偉いお坊さんにとっては老衰というのが一番よい死因だそうだ。もちろんそのときは丁重にお断りさせていただいた。逆に、千葉県のある総合病院に勤めていたときに、高齢のおばあさんが自宅でなくなられて死因を老衰として死亡診断書を書いたが、その息子さん(暴力団?)が病院に老衰という病名はないだろうと殴りこんできて、世間体が悪いから死因を書き変えろとすごまれたことがあった。こちらの方には病名として老衰というのが一番良い亡くなり方であることを説明してお引取り願った。

最近、癌の終末期の患者さんの在宅死を経験するようになった。在宅緩和医療や在宅ホスピスという概念も少しずつ浸透しつつある。入院していても何も治療がないとしたら、最後はできれば自宅で過ごしたいと思うヒトは多いであろう。しかし、本人や家族にとって自宅でがんの痛みが出たらどうしようか。呼吸が止まったらどうしようかなどの不安があるのも事実である。一開業医だけでこのような患者さんを診ることは難しく、やはり市町村介護福祉課の担当者やケアマネージャーおよび24時間対応の訪問看護師さんなどの協力が必要である。この5年間に末期がん患者さんの在宅治療を3名経験し、内2名は在宅で看取ったが、やはり開業医がん末期患者の在宅治療を行うのは大変であった。疼痛コントロール、点滴ラインのトラブル、家族への喀痰の吸引指導、尿道バルーン閉塞、何度となく行った(正確には行わなければいけなかった)病状説明などいろいろあった。1名は腎不全によるモルヒネ中毒で総合病院へ紹介入院となってしまったが、ほかの2名は在宅で看取り、最終的に家族から感謝とお礼の言葉をいただいた。これがなかったら、もう二度と終末期の患者さんの在宅で看取ろうなどとは思わないであろう。末期がんの在宅治療は苦労も多かったが、得るものも多かった。

ある在宅で亡くなった患者さんからの生前の一言を紹介しよう。「病院はやっぱり他の人に遠慮するし、やっぱり家が一番ええなー」。その家族からの一言である。「みんなで交代してベッドの脇で看病できたし、おじいさんに最後の別れが言えた。みんなで最後を見取ることができて大変ありがたかった。家でおじいさんを看取ることができて後悔はありません」。在宅で死を迎えたいと思うヒトは多い。しかし、現実問題として家族に迷惑をかけると考え仕方なく入院をしているヒトもたくさんいる。昔は、家で亡くなるヒトが多かったが、今は病院で亡くなるヒトのほうが圧倒的に多い。家族としては病院にあずかってもらったほうが楽というのもその理由のひとつであろう。

厚生労働省は患者さんを早く退院させて在宅治療を薦めているが、在宅治療の大変さを本当に理解しているのであろうか。家族にのしかかる負担やストレス。家族支援をもっと考えてもらわないと、今後在宅治療は伸びていかないと思う。われわれ医者にとって在宅治療は外来治療との時間的調節が難しく、しっかりとやるとなれば時間外に患者さんを往診したりして、自分の時間を割いて診ることになる。すなわちボランテア的な要素がかなりある訳だ。家族も大変、医者も大変となれば、患者さんが在宅で亡くなるということは今の時代ではなかなか難しいことなのかもしれない。さて、今回は在宅死について少し考えたことを書いてみた。今後、機会があったら、皆でこの在宅で死ぬということについてもう少し話し合ってみたいと思う。