TOPに戻る


【33】時代はiPad?

2012/1/4(水)20:43

先日、知人の紹介メールで、京都府医師会ではペーパーレス化の取り組みの一貫として今年の7月から定例理事会の会議運営にiPpadが導入され試験的に議事運営が開始されたとのこと。これにより印刷経費の削減、ファイリング業務の効率化が期待できるらしい。まさしく医療におけるIT化である。わが医師会でも近いうちにこのようなiPadによる会議が行われるかもしれないが、私のようなアナログ狸にとっては少々心配である。
先月、狸の属する医師会のメーリングリストに「モバイル端末が医療の現場を変えようとしている。富士フイルムが、東京慈恵会医科大学と共同研究した新しいシステム「i−Stroke」を発売。当直医と病院の外にいる専門医が脳卒中患者の情報を共有し、治療のスピードを高める」という狸にとってとても衝劇的なニュースを流したが、だれからも何の反応もなかった。内容に興味がないのか、当たり前の事で反応がなかったのか?
モバイル端末とはiPadである。最近の研修医はiPadを上手に使い、臨床研修中に分からないことや疑問点にぶつかると、あとで、配布された紙の資料を調べたり、慌しい時間の合間をぬって指導医に聞いたりすることが多かったが、iPadで、疑問点をその場で解決でき、検索機能によって時間も短縮され、最新情報も入手しやすくなったそうだ。また、研修中にiPadを使い、疾患検索や文献検索行い、その場ですぐに情報を収集し、研修報告もすぐに入力できるということでかなり有効利用をしている様だ。
狸も今iPadなるものに興味があり、購入するかを迷っているのであるが、使用目的を分からずして買ってはいけない。ということで、iPadで可能なことを調べてみると、
・教科書の自炊(切ってスキャンして取り込み)により教科書のチラ見ができる
・PDFが書籍として保存閲覧できるので、論文収容
・Googleカレンダーと同期させることが出来るのでスケジュール帳に
・ネットブラウザ(いつでもMixi Ameba)
・動画プレーヤー
・メモ、ノート
・旅行の時に初めていく場所、出張時のナビ
・メールの確認
等と書かれている。論文の閲覧は自宅や病院のPCで行えばいいし、スケジュール管理は慣れ親しんだ手書きの手帳で今のところ問題はない。外で動画を見ることなどないし、医学雑誌はPCより実際の本の方が読みやすいとなれば、今の狸にはこれを買う意味はなさそうである。ただ、持っていればかっこいいという誘惑とは戦わなければいけない。
話は変わるが、今年の1月に3年も使った携帯電話の調子が悪くなり新機種としてスマートフォン(以下SP)なるGALAXY-Sに買い替えた。未だ電話機能を多用し、時々Google検索や、Yahooニュースを見るくらいであるが、便利だと思うのは桑田圭介がCMでやっている例の指を使ったズーム機能で、老眼狸にはとても助かる。先日、このSPの電源がすぐに切れるというトラブルが発生し、NTTdocomoに行ってみた。店員さんから「お客さんは殆どアプリのダウンロードをしていませんね」と言われたが、狸にはアプリ等に興味もなく、その価値もよくわからんのにそんなダウンロードなどする訳がない。ついでに、SPのマップという機能を使えば現在位置が分かるとのことで、一度やってみたところ、今秋田にいるはずが、地図では現在自分はカナダのトロントにいるとの表示がでた。これも調べてもらったところ、「お客さんの機能は古いバージョンで、新しいバージョンをダウンロードしましたから、もう大丈夫ですよ」とのこと。「ふざけんなー!そんなの自動でアップロードするようにしておけよ」と心の中で呟いた。また、狸はこのSPでメールを打つのが苦手である。文字を打つのに非常に時間がかかる。打ちたい文字が何度も行き過ぎてしまい、最後には面倒くさくなり、メールを送るのをやめてしまう。狸にとってメールを打つより電話をした方が早いのであるが、子どもに電話をすればメールでよいと叱られる。最近の若い子たちが片手で異常な早さで携帯メールを打っている姿を見るが、これには本当に尊敬してしまう。結論として、アナログ狸には普通の電話機能だけある携帯電話で十分であり、次に買い替える時は「携帯電話楽々フォン」これで決まりである。
ある専門家が、診療科や地域、学閥、企業などから行政、司法、官民に至るまでさまざまな障壁が存在し、それらを取り払う道具がiPhoneやiPadなどの携帯通信端末だと言った。さらに「誰でも使えるという汎用機である点が、その垣根を下げる上で重要だ」と強調し、医療現場におけるSP活用メリットとして「鮮度のある情報をリアルタイムで入手・入力・共有できること、及び医療従事者自身でもアプリケーションを作成できる点」を挙げているが、今までの話からすれば狸にはこれらの機器は宝の持ちぐされということになる。さて、狸のiPad購入は今後どうなるであろうか。


【32】現代医療における望聞問切の重要性

2010/10/15(金)22:05

東洋医学での診察法には望診、聞診、問診、切診といった4つの方法がある。

これを我々は望聞問切と言っている。昔は現代のような立派な医療器械などがなかったため、五感を駆使して患者さんの心身の状態に関する情報を集める必要があったのである。

望診とは視覚によって診察し、目の光、舌や皮膚や爪、頭髪の様子、動作や体格などを観察することである。聞診とは聴覚と臭覚によって診察することで、例えば体臭や口臭も参考になる。問診とはいろいろな質問をして患者さんの状態を確認することであり、これは現代の問診とほぼ同じである。切診とは手を患者さんの体に触れて診察することで、脈や腹部を触れたりする。これがいわゆる「手当て」手を当てると言うことである。

最近の医療の現場でしっかりこのような診察を行われているだろうか。時代はICTということでカルテは電子化され、医者は患者さんを診ないで、パソコンの画面を見たまま、患者さんに話しかけずにパソコンの画面に向かって話している。患者さんに手を当てることも少ない。すなわち、患者でなく病気を診ていると言われても仕方がない。患者さんも『先生こちらを向いて話してください』と言いたいが、なかなか遠慮してそう言えない。血液データや画像に異常がなければ、『今日は問題ないのでお帰りいただいて結構です』これでは医療不信が増大するのは当たり前である。

医者も、もっと丁寧に患者さんを診察しなければいけないことは分かってはいるが、多くの患者さんの診察をしなければならず結局は3分診療になってしまう。そばに医療秘書でもいて電子カルテにデータや会話内容を入力してくれたらよいが、経済的な問題もあり、なかなかそうもいかない。

決して昔の東洋医学がよいとは言っているつもりはないが、我々医療人はデータや画像重視でなく、もっと昔ながらの望聞問切の重要性を再認識し、患者さんに面と向かった優しい医療を心がけたいものである。


【31】開業医、勤務医これからはどちらも大変である

2010/8/14(土)10:27

昨年、新政権で注目を浴びた事業仕分で開業医が勤務医と違い午後5時以降は働かないで楽をして金儲けをしているようなことを言っていたが、実情を知っての発言なのであろうか。好評であったTVドラマや映画化もされた「踊る大捜査線THE MOVIE」のなかで小田裕二こと青島刑事が「事件は現場で起きている」と言ったのを真似て「医療は現場で行われている」是非医療の現場を見に来てくれと強く言いたい。

確かに自分も勤務医時代はとても忙しかった。通常勤務は午後5時までとあるが、その時間に帰れたことはないし、夕方5時から患者さんの回診が始まり、そのあとに自分の仕事をまとめて帰宅は午後9時、10時以降、ある時は午前様が当たり前であった。夜間に急患や患者さんの急変、緊急手術で呼び出される事もたびたびであったし、日曜祝日は手術後の患者さんの術後管理でほとんど休みはつぶれた。ただ、若い時はそれをつらいと感じたことはなかったし、今考えるとその時代はやりがいがあってとても楽しかった。当時は、お金のためではなく患者さんのためや自分のために頑張ったし、自分を支えてくれる人のためにさらに頑張るという気持ちで働いた。もちろん私の勤務医時代と今は違い勤務医の状況はさらに厳しくなっている。

以前に「秋田医報の巻頭言」にも書いたが、勤務医の負担軽減ということでは勤務医の当直制度についての見直しも必要であると述べた。すなわち、当直する日は朝の勤務から翌日の勤務時間終了までの1日半が勤務時間となる。当直に引き続き翌日は通常勤務となる。ある意味では労働基準法で定められた業務範囲を超えた過重労働でもある。交代勤務制の導入が望まれるが、現在の医師不足や医療費抑制政策の影響でこれも難しい。業務は医師の献身的な努力に依存しているのが現状である。では、交代勤務制度はなかなか難しいとすれば勤務開始時間や終了時間をずらすフレックス制度の導入も一つの考えである。たとえば通常勤務終了後に3時間夜間救急をおこなった翌日は3時間ずらして勤務を開始するという方法である。交代制を取っている看護師の勤務体制を勤務医にも取り入れることで少しは負担軽減ができるのではないか。

勤務医のモチベーションを下げるもう一つの問題として給与の問題がある。勤務医はこの医師不足時代ある程度の長時間労働は仕方がないと考えているが、当直やオンコールが経済的に評価されていないことも不満となっている。16時間以上の拘束、救急患者の診察、翌日も朝から通常勤務、残業もある、報酬は低く、オンコールは無償。これでは開業に心が向くのは当然かもしれない。

しかし、開業医が楽かといえばそうでもない。まずは、開業医は医療だけをやっていればいいわけでなく事業経営も考えなければならない。開業するためには診療所を新築するか高い料金でテナントを借りなければならない。開業するには設備投資が必要でほとんどが借金やリースに頼らなければならない。最近は銀行も医者だからといって簡単にお金を貸してはくれない。職員を雇用しているわけであるからその責任も重い。院長が病気になっても代診を頼むのは難しい。しかも院長には退職金もない。長期の休暇も無理。夜間の患者さんからの電話も多く、在宅患者の急変、看取りもある。

医師会活動、乳幼児健診、学校健診、住民健診等の住民サービスもしなければならない。最新医療においていかれないためには講演会や勉強会に参加もしなければいけない。IT時代にも対応するべくアナログ人間の私でさえPCをいじらなければならない。電子カルテ等の導入も検討しなければならないが、自分としては患者さんと向かって話すことが重要と考えるため当分導入する気はない。

いくら頑張っても最近は診療報酬も下げられ、過当競争に負け、事業経営に失敗した開業医の倒産もじわりと増加しているらしい。開業医の年収が高いといわれているが、税理士さん曰く、「いくら稼いでも国に納税するために働いているようなものですな」とのこと。勤務医だけでなく開業医も大変なのである。
さて、医師不足のために医学部定員が増加され、07年に7625人だった定員数が10年には8846人となり、これは医学部を10か所以上新設したのと同じだそうだ。さらに新たに私立3大学が医学部新設に向けて準備を進めているとの報道もある。現政権の文科副大臣もこれに前向き発言をしており、それを許可しそうな雰囲気もあるし、YAHOOニュースの見出しにある大臣が外国人医師の診療を日本の国家試験を受けずとも許可しようという話もあった。これでは近い将来、間違いなく医師過剰時代が来そうである。政治に振り回され、医師の資格を持ったフリータ―医師が職安に並ぶのも時間の問題かもしれない。いずれにしても医師過剰時代が来れば、勤務医や開業医の比較を論議しているどころではない。これからの開業医と勤務医どちらも大変そうである。


【30】医療

2010/6/23(水)20:02

Trust meという言葉がある。約束を守らなければ完全に個人の信用を失ってしまうし、国と国の約束であれば更にこの言葉は重く国益や国の威信に関わることにもなる。結局このTrust meという言葉が最後まで皆を惑わせ政権をぐらつかせ、政治とお金の問題も併せて首相が退陣に追い込まれた。
言葉は人類の象徴であり、人間同士のつながりである。Trust meなどといったかっこ良い言葉を使えばよいのではなく、いかにその言葉に責任を持ち、実行するかが重要である。

医療でも言葉は大事である。何気ない言葉で相手を傷つけてしまうことも多い。言葉でその人の人生が変わることもある。私の尊敬する諏訪中央病院名誉院長である鎌田 實先生が書かれた『言葉で治療する』という本の最初の文章に「病にかかったとき、患者さんと家族は医師や看護師からかけられる言葉しだいで、治療を受ける日々が天国にも地獄にもなる」と書かれてある。医療訴訟が多くなった昨今、安易にTrust meとは言えない。何か問題が起きると「あなたは私を信用しろと言ったではないか」ということになる。
医療の現場、とくに精神科やがん治療では極めて言葉使いには注意が必要である。私は、精神科やがん治療を受けている患者さんには「がんばってください」という言葉よりも鎌田 實先生の受け売りではないが「がんばらないでください」と言うことにしている。彼らは十分苦しみ、がんばっているわけであるから、がんばれと言われても、これ以上私にがんばれというのかと受け止められかねない。このような患者さんには「無理をしていませんか、自分のできることをやっていただければ十分ですからね」と話すようにしている。時には「よくがんばっていらっしゃいますね。何かさせていただけることがありますか」と話すこともある。ほとんどの患者さんは「そういっていただくとありがたい」と言ってくれる。

私のところにはうつ状態の患者さんが比較的多く来院する。うつ病の患者さんを私みたいな非専門医が診察するのはあまり好ましいことではないが、精神科の専門医を紹介しようとしてもなかなか患者さんは承諾してくれない。精神科や心療内科の敷居はいまだに高いようである。このような患者さんを診察するのは自分にとってかなり荷が重く、ストレスである。私は精神科の先生を『言葉の専門家』と考えており、いつも精神科の先生方のご苦労には感服している。

一昨年であったか、ある小学校の移動健康教室で小学生を対象に健康と命の大切さの講義をさせていただいた。生きることを共に考え、命の大切さを訴えるために「命の授業」を全国の子どもたちに行い、乳がんと向かいながら生き、癌が再発して亡くなった山田 泉さんの話を紹介した。彼女は担当したお医者さんから「つらかったでしょう。よくがんばりましたね」と優しい言葉をかけてもらったときは、涙が出るほどうれしかったと話している。相手を思いやる心のこもった優しい言葉には重みがあり、とくに「医療現場ではどんな薬よりも有効かもしれない」ということを命の大切さの話と合わせて小学生にお話をさせていただいた。

最近、患者さんには医学専門用語を少なくして、わかりやすい言葉で心を込めて丁寧に説明をするようにと言われている。当たり前のことではあるが、結局その当たり前ができていないわけである。今後、言葉の授業が医学教育では必要になるであろう。医療における言葉の重みについて書いてはみたが、実際、自分の医療現場を振り返ると、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんには「先生に任せてあるから、説明はいらない」と言われてしまう。結局は言っている事とやっていることが矛盾している私である。
今回も、綺麗事を長々書いてしまったが、頭ではわかっていても、これをいつも実行できないのが自分であり、皆にまた『偉そうに!』と言われそうである。いつも自分を反省しつつ、私たち医療者は言葉の重みを常に実感しながら、人間同士のつながりを大切にした医療を心がけたいものである。


【29】困った!県医師会の新理事に・・・

2008/6/29(日)23:19

今年の7月から秋田県の医師会の新理事になることになった。

由利本荘市とにかほ市の由利本荘医師会の理事も兼任とのことである。確か今年の3月頃であるが、由利本荘医師会の会長から、今度、県の理事を受けてくれないかとの話があった。まだ、ぼくは秋田に帰って着てから8年しかたっていないし、医師会活動も長くないのになんで自分にこの話が来たのか疑問であった。第一、開業歴の長い先輩の皆様と違っていまだに医院の改修工事をし、経営も落ち着いていない発展途上の開業医師で、恥ずかしい話であるが、自分の三人の子どもだって一人もしっかりとした進路も決まっていないのに、「勘弁してください。どうして俺なんですか?」と聞き返した。「○○先生はどうですか。××先生もいるじゃないですか。△△先生が適任ですよ。」と他の先生を必死に売ろうとしたが、会長は全然話に乗ってこなかった。その時は「今日はこれくらいで終わりにしますが、考えておいてください」といってその場を立ち去った。妻や友達にその話をすると、皆が口をそろえて、「何いってるの。そんなのなんの得もないからやめておきなさい。」と忠告してくれた。

3月に由利本荘医師会の執行部で理事の改選があり、3期目の再任で理事を拝命した。仕事の役割分担があり、会長が県の理事になるなら分担を減らすと話していたが、担当が前の8から3に減っていた。ぼくは県医師会の理事を承諾する意思表示もしていないし、どうなっているのか確認するのも薮蛇になりそうだったので、とにかく会長のそばに近づかない、会が終わったらすぐに逃げるように帰ろう。宴会参加は当分禁止。そうしたらきっとあきらめてくれるだろうと信じていた。4月に県の新しい理事が県の代議員により決まることになっていた。その会に急用でいけなくなった先生の代理で予備代議員のぼくが参加することになった。その会で選ばれた新しい理事にぼくの名前は載っていなかった。「良かった。やっぱり会長からの話は白紙になったのだ。いやー、いろいろ心配して損したなー。これからは、ゴルフ三昧の生活をするぞ。」とその日は安心して家に帰った。そして、妻や友達に心配かけたが、問題解決と笑顔で報告した。

この話が再浮上したのは、もう忘れかけていた5月の医師会の総会のときである。執行部理事席に座っていたとき、S会長と県の医師会の常任理事のK先生が、一枚の紙を持ってそばに寄ってきた。「これ、今度の県の理事の新しい役割分担表。先生は共同利用施設と医薬連携の主担当。」そこで絶句・・・・・・。「えっ。何が起こったのだ。」理解不能。ぼくは「県の新しい理事はこの前、代議員会で正式に決まりましたよね。」と質問すると「うちの医師会から県の医師会にもう一人理事を出せることになったので、先生を推薦しました」と。

その日の懇親会に参加し、会長から個別に説明があった。趣旨は、ぼくは秋田市に住んでいて、理事会が秋田市で行われるため帰宅の際に距離的に有利であること(本心:それならば由利本荘市に転居しますよ)。会長と副会長の相談の結果、ぼくが適任?とのこと(本心:勝手に決めないで欲しいですよ)。ぼくは由利本荘医師会の代表、銀行で言えば由利本荘医師会の支店長(本心:別に支店長にならなくてもよいのであるが)とのことであった。ぼくは、それを聞いて、もう何を言ってもダメなことを悟った。それと同時に大きな不安が押し寄せた。秋田県医師会の執行部の顔ぶれを考えると足がすくんでしまう。皆、県の医師会報で写真ぐらいしかみたことがないお偉方で、中には大学教授、大きな病院の病院長、皆ぼくより年上のツワモノぞろいである。

ついに7月26日。昨日、臨時代議員会で正式に新理事の追加が承認され、ぼくははれて?(本当は曇り空)県の新理事になることになった。任期は後1年10ヶ月。最善は尽くすつもりであるが、本音はやはり不安である。由利本荘医師会のS会長がわざわざ県の執行部の先生方にぼくを紹介して回ってくださった。S会長には感謝すると共に、支店長としての責任の重さに押しつぶされそうである。幸いなことに何人かの知り合いの先生が執行部にいらっしゃるので、コバンザメのように先輩にしっかりくっついていくことになるであろう。





更新〕〔終了

電子掲示板プログラム名:MiniBBS2000i


Dr.Ito Office
E-mail:info@DrIto-office.jp